旅する地域考archive

秋田で秋田と想ったこと

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#レクチャー「集団で旅する」

#羽後町

#相馬千秋

夏編 Lecture

相馬千秋 / 島 崇

 

 

開催日:201885

会場: 羽後町 西馬音内盆踊り会館

講師: 相馬千秋、島崇

 

秋田が生んだ舞踏家であり暗黒舞踏の創始者・土方巽(たつみ)は、戦前の秋田市にいながら、高校時代に西洋のノイエタンツを習い、その受容と反発から独自の身体表現を編み出した。そして今日、「舞踏 BUTOH」は世界的な身体哲学・実践として定着し、更新されている。アートプロデューサーの相馬千秋氏は、土方と舞踏、日本の身体表現の歴史についての基礎レクチャーを行った。また、当プロジェクトの受講生の一人であり、土方の著作「病める舞姫」から着想を得て秋田で独自のプロジェクトを展開する島崇氏も、講師として登壇した。

 

 

●土方巽について(相馬千秋氏 レクチャー)

 

 

日本のダンスや演劇は、海外のものを受容して独自に発展した歴史的経緯がある。土方らが活躍した50年代後半~60年代にかけて、明治期以降の日本の近代化の過程で西洋から入った文化を、ある部分で否定し、乗り越えようとする運動が起きた。

 

世界にはさまざまな踊りがあるが、身体表現が様式化され、劇場というシステムの中で披露する文化が出てきたのは西洋近代。ヨーロッパのバレエは、19世紀末に様式として完成されたアートである。20世紀初頭には、バレエの「規範的な身体」から自由になろうとするムーブメントが起こり、「モダンダンス」が誕生した。

モダンダンスが入る前、明治期以前の日本には、ダンスという言葉はなく、「舞」と「踊」しかなかった。日本におけるモダンダンス(創作舞踊)の先駆者には、秋田県出身の石井獏がいる。

 

秋田市出身の舞踏家・土方巽(19281986)は、「舞踊」との言葉を使わず、「舞踏」という名で前衛芸術の新たなジャンルを創設した。現在では「BUTOH」として世界に広まっている。

土方は高校卒業後に市内で増村克子に師事し、ドイツの表現舞踊「ノイエタンツ」を学んだ。後に上京し、自分自身を研鑽して独自の身体表現を探った。1959年に「禁色」を発表。1961年の「土方巽DANCE EXPERIENCEの会」以降、暗黒舞踏派を名乗るようになった。1965年に出版された「鎌鼬」は、写真家・細江英公と共に秋田県羽後町を訪れて撮影した写真集である。土方は精力的な作品発表を続け、1973年以降は弟子の育成や執筆活動に力を入れた。

「舞踏とは、命がけで突っ立っている死体である」という土方の言葉は、彼の舞踏をよく表している。土方は、西洋では排除されるような「衰弱体」としての身体(異形、奇形、病人…)を積極的に肯定した。彼は舞踏を通じて西洋化を乗り越え、肉体の復権により日本固有の伝統芸能や土着性の回帰を求めた。

 

 

相馬氏は「土方を秋田で語ろうとすると、神格化されすぎて難しくなることがある。しかし、ある時代の必然性から生まれ、自分の背負った宿命を表現の起点にして全く新しいものを生み出すのは可能なのだということを、彼から学べばいい」とまとめた。

 

 

 

 

●「『私』の病める舞姫プロジェクト」の場合 (島崇氏レクチャー)

 

 

 

秋田県出身で、現在は演出家・劇作家・俳優として活動する島崇氏は、2014年より出身地である秋田で「『私』の病める舞姫プロジェクト」を展開している。レクチャーでは、土方巽の著作「病める舞姫」をどのように受容して活動へ展開したのか、また、秋田を絡めてどのように自分のテキストを展開させたのか。過去に発表した作品を紹介した。

 

 

秋田での記憶を作品化したソロダンス「秋田愛憎」を披露した島氏は、知人から「若い人と『病める舞姫』を使って舞踏を作ってほしい」との依頼を受けた。

「最初は難解だと思ったが、自分の書いたテキストと土方の作品に『記憶』という共通項があることに気がついた」と島氏。「私は記憶や体験、妖怪、旅人、それにまつわる振る舞いや観察において、土方から影響を受けている」。

記憶は改ざんされ、フィクションになる。「病める舞姫」を土方の記憶にまつわるテキストと解釈することで、プロジェクトの始まりにつながったという。

秋田をめぐる対話の場をつくり、地方発の舞台芸術の可能性を模索するチームを作り、作品名と同様のプロジェクト活動を開始した。

 

2014年 「『私』の病める舞姫」

個人的な記憶をパフォーマンスすることで共有し、秋田の姿を立ち上らせることがテーマ。秋田市民の記憶や体験を元にしたテキスト化させ、「病める舞姫」の舞踏譜として、一つ一つの言葉に合わせて肉体を動かした。

 

2015年 「『私』の病める舞姫-秋田の妖怪に出会う旅-」

「病める舞姫」=「秋田の闇」(目に見えない存在、秋田の妖怪)がテーマ。「秋田の妖怪は何か?」について、アンケートやフィールドワークを事前に実施し、テキストの強度を上げた。

 

2016年 「『私』の病める舞姫-演劇公演-」

私たちは、あらかじめ用意された台詞(せりふ)や振る舞いを繰り返すだけで、その中に囚(とら)われているのではないかと仮定。「戯曲や演技、振る舞いをもう一度見つめ直す」という考えの下、作品を制作。閉鎖中のショッピングモールを舞台に、サーチライトのみを照らす暗闇の中で公演を行った。