旅する地域考archive

秋田で秋田と想ったこと

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#レクチャー「集団で旅する」

#羽後町

#三浦基

夏編 Lecture

三浦 基

 

 

開催日:201885

会場: 羽後町 旧長谷山邸

 

 

高校時代まで秋田で過ごし、現在は京都を拠点に世界で活躍する演出家の三浦基氏。日本の小劇場シーンでは珍しく、自らは劇作を行わず、古今東西の戯曲やテキスト、それを発話する俳優の身体に徹底的に向き合う演出を貫いている。この日は、秋田市出身の舞踏家・土方巽にゆかりのある「鎌鼬美術館」を見学した後、「ルーツをどう具現化するか」をテーマにレクチャーを行った。

 

 

三浦氏は始めに生い立ちを紹介した。転勤族の家庭で育ち、中学・高校時代の6年間を秋田で過ごした。「(土地的な)ルーツはないけれど、なぜ自分は秋田高校を出てから突然、演劇科を選んだのか。ここに来るまでその理由を考えてきた」。

テレビ局勤務だった父の影響のほか、高校時代に進路を文系に変え、消去法で俳優の道を考えたこと、桐朋学園演劇科入学後は、90年代後半の演劇公演に頻繁に通ったが、面白みが感じられなかったことなどについて語った。

彼が衝撃を受けたのは、大学2年の頃に鑑賞した、演出家・鈴木忠志氏による世界演劇祭「利賀フェスティバル」だった。「裏側にレイヤーがかかっているような演劇に出会って、自分はきっと演出家になるだろうと思った」。

 

 

日本の演出家の仕事は、演出家自身の劇作に付随して演出するのが一般的だが、三浦氏は他者の言葉を演出する。彼の演出方法は「リアリズムを避けることが鉄則。これに伴う様式化も同時に回避する」ことだという。「しゃべり方、発語する根拠というものを徹底的に改訳作業することを第一に優先する。ここがほかの作家と違う点だと思う」。

 

演出は「私たちが観たい世界を僕が代弁しているという感覚」であると三浦氏。「演劇には観客という集団性がある。公演ではそれが共同体になるということ。例えば、『男鹿のなまはげ』は集落ぐるみの共同体の儀式であり、そう考えると極めて演劇的に物事が見えてくる」。

劇団「地点」の最新作「山々」では、男鹿のなまはげをモチーフに取り上げ、舞台が作られた。当プロジェクトのテーマ「秋田から着想する」という意味で考えると、「秋田は自分の根底にあり、忘れかけていたものを拾い出す感覚に近い」と語った。

 

 

 

●受講生からのQA

 

Q:戯曲を演出するときの価値の基準となるものは?どのような判断基準で他者の言葉と向き合うのか。

A:劇作家としては、神西清が訳したチェーホフが一番。日本では太宰治がいいと確定した基準がある。チェーホフの演出で培ったノウハウや言葉の粒立て方や普遍性、土着的な太宰の感覚、誤解されかねない言動や甘え。自分の思い込みによる絶対的な価値観の中で他者の言葉を見ている。

 

Q:この作品でいけるという価値判断もテキストに基づいているのか?

A:作品の成否は演出の問題。テキストの出来は結果を大きく左右するが、その責任は演出家に責任があると思わなければマナー違反だと思う。俳優も仕事を自覚して、互いにキャッチボールを楽しまなければ、どんなテキストがあろうと失敗だ。

 

Q:ビジュアルを抽象化するとき、抽象化を止めようとするポイントはどこにあるのか?

A:(そもそも)抽象をどうやって決めるのかが大問題。自分はもっと具体的にしようという指示を出し、スタッフが止めたりする。リアリズムをやらないと決めた以上、特に分かりやすい衣装などは徹底的に議論する。結果的に抽象的だと思われることも多いが、分かりやすくするのが自分の役割だと思っている。