旅する地域考archive

秋田で秋田と想ったこと

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#レクチャー「集団で旅する」

#羽後町

#石倉敏明

夏編 Lecture

石倉 敏明 

 

開催日:201884

会場: 羽後町 西馬音内盆踊り会館

 

 

「旅する地域考」は「秋田から着想する」ためのスイッチを、共に意識することから始まった。人類学者の石倉敏明氏は、「みちのく」や「東北」と名指しされた地域の歴史や社会、神話や民話と結びついた想像力豊かな世界について解説した。ここでは、「地域」や「場所性」を捉える人類学理論やフィールドワークの方法論、それらを芸術に応用する視点などを多面的にひも解いたレクチャーの中で登場したキーワードの一部を紹介する。

 

 

接触領域(コンタクトゾーン)

 

 

「接触領域(コンタクトゾーン)」とは、植民地主義に関する歴史学の研究から生まれた空間概念である。それは西洋と非西洋のような異文化どうしが出会うことにより、異なる伝統の中に異質な「他者性」を発見し、それをもとに新たな現実が生成する場面を表している。秋田は奥羽山脈と日本海に囲まれた「日本」の中の辺境地域であり、「日本国」が成立する以前からさまざまな文化を持った集団が共存する接触領域であったと考えられる。東北全体にこの地域を位置付けようとすると、「旅する地域考」の原型となった「みちのくアート巡礼キャンプ」はかつての「陸奥国のエリアで行われ、当プロジェクトは出羽国のエリアで活動していることがわかる。石倉氏は「今回の旅は、二国の境界を越えることに意味がある」と話した。

 

「複数の時層」をルーツに持つ文化圏

 

例えば今回のプログラムで訪れた羽後町の「西馬音内(にしもない)」という地名は、縄文時代以来の言語文化を背景に北海道から北東北一帶に広がる「アイヌ語地名」の一つであると言われている。また、この場所には中世的な特色を秘める「西馬音内盆踊り」が継承され、近隣の田代地区には近年オープンした「鎌鼬美術館」など、舞踏家・土方巽の写真集撮影地に因んだ実験的なミュージアムも存在する。このようにある土地の地名・芸能・祭祀・信仰・芸術といった要素を丁寧に辿ってゆくと、季節の移り変わりに即した美学、神話的思考を具現化した装飾様式、生死が一つのサイクルを為す循環論的な思想などが、人びとの生活の背景に時間を超えて生き続けていることがわかってくる。

 

 

「地域」を旅する人、菅江真澄

 

 

江戸時代後期の旅行家で博物学者の菅江真澄1754-1829は、東北各地や当時の北海道を巡って絵と文章を記録した。多岐にわたるその記録の一部には、今でいう「レジデンスアーティスト(=滞在制作者)と似た側面もある。彼が残した旅の記録には、芸術的・学術的・アーカイブ的価値が備わっており、ある土地の複合的な生活の現実が見事に捉えられていることがわかる。後世に生きる私たちは、例えばここから江戸時代の秋田にまで遡り、菅江真澄の視線を通して当時の景観や風物を観察することができる。また、彼の考察を通してルーツを辿り、さらに古くから受け継がれた文化的要素に思いを馳せることができる。後世秋田を訪れた蓑虫山人、柳田國男、折口信夫、シャルロット・ペリアン、岡本太郎といった観察者にも、地域を旅する視点は受け継がれている。

 

 

二つの神像 世界に内在する「朽ちる神」、超越する「朽ちない神」

 

 

「ギリシア彫刻で表現された八頭身の神々の姿が美の基準といわれる由縁は、アートが朽ちることのない原理を美の基準に据えているからではないか」と石倉氏。秋田県内には、これに対して、「カシマサマ」「ニンギョウサマ」「ショウキサマ」等と呼ばれる巨大な藁(わら)の人形道祖神があちらこちらに祀(まつ)られている。藁は朽ちて土に還り、甦るものとしての聖性を持つ。こうした「朽ちる神」には、ギリシアの「朽ちない神」とは対極的な、もう一つの美や崇高性の基準が込められているという。

「観光」を超えた「旅」の醍醐味は、その地域に受け継がれた思想や哲学に触れる体験の中に秘められている。地域においては、全ての人がアーティストであり、批評家であり、鑑賞者でもある。当たり前の生活技術の中に、サイトスペシフィックな表現の条件や個性的な表現の母胎となる地域性が現れる。

 

 

再発見される接触体験

 

 

近年、アートや人類学の共通の課題として、「人間中心主義」を乗り越える必要が認識されている。「接触領域」(コンタクトゾーン)をめぐる20世紀の芸術人類学理論は、人間と人間の関係に留まっていた。しかし、21世紀には「人間」と「人間ならざるもの」との関係において、「接触領域における体験」がどのように組織され、発現するかという問題が浮上している。例えば旅の体験は、ある土地に暮らしている具体的な人物との接触だけでなく、その土地の景観や自然、動植物や微生物といった「非人間」との未知の遭遇体験に溢れ、旅人の精神と身体に変容を促す。

このような潮流の中で、「地域」という概念もまた、これまでとは異なるアプローチで評価されるようになってきている。「地域」には特定の産業を支える経済的資源があるばかりでなく、人間と非人間を含む他者との共存や、自然界の中で人間という存在が自らを位置付ける重要な足掛かりが潜んでいる。祭りや芸術は、単に個人の趣味による美的な消費活動ではなく、世界と再びつながり、価値を創造する実践的な活動として生まれ変わるだろう。