旅する地域考archive

秋田で秋田と想ったこと

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#プレゼンテーション

#渡邊拓也

プレゼンテーション

渡邊 拓也

「人はどのように終わりを受け入れられるのか」

 

<スライド発表>

 

 

個別リサーチでは、秋田市を中心に秋田県の南北をまわった。当初気になっていた稲や田園風景など、自分自身にとっては見慣れない風景から入り、「カシマサマ(道祖神)」などの文化に興味を持つようになった。

テーマは、限界集落のおばあさんとの出会いで、亡くなった自分の祖母を思い出したことがきっかけとなった。

「どう終わらせるか」という方法論ではなく、「終わっていくような気がしたもの」に対し、外から来た人間として、どのように終わりを受け入れられるのかを考えたいという設定にした。

自分の祖母は、最後に自分が亡くなることについてうまく対処できていなかったように思える。しかし、秋田の限界集落で出会ったおばあさんは、自身の身体が動かなくなっていくなど、さまざまなことについて「最後」というものを引き受けながら過ごしているように見えた。

 

 

 

稲作のシステムの永続性

 

農家は後継者がいないという問題に直面しているが、それでも委託などのシステムが存在する。だから稲作は半永久的に続くように思える。

 

 

カシマサマの継承

 

人口減少の影響が強い地域において、藁(わら)の道祖神は、外から来た自分から見ると、継承されつつも、少しずつ失われていくもののように見えた。しかし、ここで暮らす人にとっては少し感覚が違うようだ。終わりへの意識の違いがあることを学び、キーワードになった。

 

 

「終わり」とは何か

 

「〇〇の終わり」と言わない限り、広義になってしまう。

「何かしらの目的のようなもの」があって初めて「終わり」が定義されるのではないかと思った。目的のようなもの」には、「終わらせたいから終わらせる」「終わらせたくない」など、いろいろなものが絡み、「その後」には「終わりの始まり」などがある。

 

 

農家の児玉さんの話

 

児玉さんの畑仕事を手伝う中で聞いた、「ただ変化を見つめて対応する」「目的がないなら終わりの感覚もない」という言葉から感じ取るものがあった。

 

 

これらは外側の視点であり、児玉さんほか地元の人たちが見ているものとは違うのかもしれない。時間間隔を含め、どのようにすれば内側の視点を体感でき、理解できるのかということが現時点での発表内容であり、これからの課題でもある。