鄭 伽倻
<写真のスライドショー、採取した音源を流す発表>
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距離だけでいえば、一番長い旅をしてきた。ここに至るまで、何度もルーツの説明をしたが、言葉で示すよりも写真で見るのがわかりやすいと思う。
<スライド…結婚式の集合写真。チマチョゴリ姿の人がちらほら写っている>
両親は在日韓国人の2世、大館市の教会で結婚式をした。
集団の旅が終わった後、ひと呼吸着きたくて、韓国に行くことを決めた。
ただ、途中で韓国行を特別な旅にしようとしていたことに気が付いた。センシティブな欠片(かけら)を拾って並べるような、そこにすがろうとする自分がいた。
では、いつから旅が始まっていたのかなと考えると、 きっと「旅する地域考」に参加すると決まったときから自分の旅は始まっていたのではないだろうか。
<スライド…「旅する地域考」への参加が確定した日の日常の写真から始まる>
背景の音は、韓国に向かう、おそらくまだ地図上では日本の船の中にいた時間の音。
自分にとって秋田県内の旅は、日常の延長であり、旅にならないのではないかと考えていた。家に旅人たちが滞在したことで、自分の部屋は非日常に変わり、旅になっていたのではないかと思った。
旅が終わり、彼らが自宅からいなくなって、少し寂しさもあり、旅人が旅をもたらすのではないかというふうに感じた。
今回、韓国から日本に戻ってきたとき、ヒッチハイクをしてみた。一台目に乗せてくれた北九州市のドライバーから連絡があり、お互いの兄妹が大学の同級生だったということが分かった。北九州と秋田がこういう形でつながるのは、旅の不思議と言うか、旅の作り出すものなのかなと思う。
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「旅する地域考」に参加する以前は、場所の旅は重ねてきたのに内面の旅はしてこなかったのではないかと感じていたが、外濠(そとぼり)を埋めてもたどり着けないところが内面の旅ではないかと考えるようになった。そうすると、ちゃんと内面の旅もできているのかもしれない。
私の父は「年に一回は海外へ旅をしたい」と話していたが、3年行けずに亡くなった。と言っていた。今は時間や身体から解放され、違う形の旅に出ているのではないかと思えるようになった。
これからやってみたいことについて、自分で考えると内に内にと巻き込んでしまう。曖昧(あいまい)ではあるが、旅を通して同時多発的に増幅していくものを、視覚に頼るだけではないかたちで見て、表現していけたらと考えている。
私の言葉はここで終わるが、スライドはまだ続く。
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〈スライドショー…旅の間の何気ない音が環境音のように流れる中、秋田の一連の旅の間に撮影された写真群がモノクロームで静かに映し出されていく。現在は閉鎖されている秋田空港国際線ターミナル前の写真でプレゼンテーションが終了する〉