橋本 佐枝子
「私たちはクマを知らない」
<スライド発表>
私は今、東京都に住んでいるが、生まれは兵庫県西宮市。2歳くらいの時に大阪府の豊中市に引っ越した。
<幼少~小学校3年生までの、クマのぬいぐるみを持った3枚の写真を紹介>
今はもう、どのぬいぐるみも持っていない。また、どんなふうにこのクマのぬいぐるみたちと遊んでいたのかもあまり覚えていない。
今は特別クマが好きな訳ではないが、そんなこともあり、テディベアの作品を作ったりしている。
個人で旅するリサーチ期間は、秋田(北秋田市阿仁)にクマを求めて旅に出た。
旅の中では、「くまくま園」「マタギ資料館」「伊勢堂岱遺跡」などに立ち寄った。遺跡では、クマよけの鈴を持って歩いた。その後、阿仁の根子集落で暮らすマタギを訪ね、いろんな話を聞いた。
しかし、この旅では結局、私は野生のクマに会うことができなかった。今後も会えないかもしれないと、ショックを受けた。自然に近づき、リアルなクマを見て、生きるパワーをもらおうとしていたのは、どうやら違うということに気がついてしまった。
では私のまわりにいるクマは何だろう?
自然の中にいる野生のクマと、キャラクターやぬいぐるみのテディベアがどこでなぜ結びついたかに興味を持って調べてみたところ、1902年の風刺画にたどり着いた。
〈人気キャラクターのシルエット画像/風刺画を紹介〉
「セオドア・ルーズベルトの子グマとの話」
テディはルーズベルト大統領のあだ名。誰かがこの風刺画を見て、クマをぬいぐるみにしようと思い立ったそうだ。「テディベア」は、爆発的に売れるようになり、日本にも入ってきた。
このエピソードを知った時、気になることが2つあった。一つは、ルーズベルト大統領がこの当時、ミシシッピ州とルイジアナ州の境界について揉めており、ミシシッピ州で一線を引くという意味の風刺画になったということ。
もう一つは、クマや狼などの野生動物は、かなりの大量虐殺が行われていたということ。当時、アメリカでクマは、人間たちとの距離があり、恐れるものの対象だったという。
生き物の根絶を目指しながらも、それに対する矛盾を感じる人たちが増えてきた頃、この風刺画が発表されて、クマがかわいそうだという同情が集まったそうだ。
その結果、クマは少し救われた部分もあったのだが、殺すか、生かすかは人の気持ち次第だ。人間の気持ち一つで、野生動物が影響を受けるのは恐ろしいことだと思った。ただ、風刺画を見てかわいそうだと思った人たちの想像力によって、野生のクマの頭数を変えるという現実があり得るということも、私は知った。
いま私たちは、クマ以外にも人や土地、出来事などに関して、よく見聞きはしていても、実物に経験していない場合がたくさんあるということを今回の旅で感じた。例えば、「経験をしている人」であるマタギは、クマのことを良く知っていた。そして、何も知らない私は隔たりを感じてしまった。
本当はそんなことはないのかもしれないけれど、なぜか「経験者の方が強い」という力関係を作ってしまうことについて、私自身が考えなければいけないと思った。
一方、テディベアの起源では、人の想像力が動物の生命を動かし、現実に大きな影響を与えた。経験をしなくても、想像の力で何かが動くこともあり得る。それは、いい方にも悪い方にも転がることを知った。
「私たちはクマを知らないプロジェクト」
第1段階「私のくまを紹介します」
…自分の身近なクマ、ぬいぐるみのクマについて語る。
実施場所:東京
対象者:子ども(ぬいぐるみに近い場所にいる存在として)
――個別インタビューのような形式で子どもたちに話を聞きたい。クマのぬいぐるみを持ってきてもらい、そのクマのことについて話してもらいたい。
第2段階 「野生のクマってなんだろう?」
…想像力を使って、知るって何だろうということを考える
対象者:参加してくれた複数の子どもに対して行うイメージ
「野生のクマってなんだろう?」ということから、想像力を使って知るということは何なのかについて、子どもたちが考えるところが見たい。
このプロジェクトは、都会の子が野生のクマを知らないから、もっと知りましょう、見ましょうというものではないという点を大事にしたい。対象の年齢によって、話の内容も変わってくるだろう。第3段階以降をどのように進めていくのかは未定。「本当のクマはこうだよ」「本当のクマに会いに行ってみよう」などの情報や体験を得ることも可能だと思うが、それを知らない立場に留まったまま何が広がるのかを探ることもできる。また経験知識が増えることで、どう混ざった部分が見えるのかというのを見ていけるかもしれない。