梶 夏季
誰もが持ち得る内なる辺境 “当事者性” について
私は今回、オンラインの旅だからこそできることは何か探ってきた。以前の「旅する地域考」に参加した視点から、代替ではないアプローチをしたつもりだ。私たちはタビコウで得られるはずの“当事者性”について、質疑応答も含めてある理念を集団で引き出すことができた。「経験者にはなれないが、誰もが社会問題を解決するための当事者である」ということ。
“当事者”という言葉は、経験者以外を排除してしまう危険性を孕んでいる。そして経験者以外が社会問題の解決には非常に重要な存在である。これはオンラインでの旅や身体を持ち込めない状況下だとしても何ら変わりはない。私たちを悩ませた障壁は、この言葉の中にあったのかもしれない。つまり、“当事者性”は最初から得られていたのだという結論に至った。
日々の疑問や個人的な経験を踏まえ、「当事者性とは何か」を問題提起し、最終発表で議論を仕掛けた。「オンラインで人が集うこの場で、俯瞰して物事を捉えるきっかけを作りたかった」。人種、民族、ジェンダー、宗教など、多様なアイデンティティは、多数派であるか少数派であるかに関わらず「内なる辺境のようでもある」と梶。当事者と非当事者との関わり方について、旅のメンバーを交えたディスカッションに展開。岸健太は「たとえ経験者にはなれなくても、当事者意識を持って近づくことはできる。そこをどう繋げるかはこれからも議論し続けなければならない」とコメントした。
梶 夏季(秋田)
Natsuki Kaji
大学生
1997年札幌市生まれ。秋田公立美術大学美術学部2年生。来年度からはアーツ&ルーツ専攻に所属予定。普段から虚構と実在についてのリサーチとスタディを行なっている。その活動のひとつに、フィクション・ジャーナリズム誌「虚実」の執筆がある。「辺境を酌む冬編」も受講。