2020.1.15
メンターからのコメント
「旅する地域考 辺境を酌む冬編」のプレゼンテーション終了後、8日間の旅に同行した7人のメンターから受講生たちに、厳しくも愛のあるコメントをいただきました。
(※メンターの肩書は2020年3月時点の情報です)
#1 原 万希子 Makiko Hara
インディペンデント・キューレーター/
秋田公立美術大学国際交流センターディレクション・アドバイザー
たくさん話し合った受講生たちの、制作中の葛藤からダイナミックに飛躍するプロセスを見ることができてうれしかった。立派な作品を見たいのではなく、短い期間でどれだけ思考を深められるのか、その変化に関心があった。キュレーターの視点で語ると、みんなプレゼンテーションが下手だ。15人15分の横並びで、言われたままに落とし込むのはもったいない。自分の作品を最も効果的に見せる方法を探ってほしい。
#2 シャルミラ・サマント Sharmila Samant
アーティスト/シブ・ナダール大学美術学部大学院准教授
短期間でみんなある程度完成した発表をできたことに驚いた。ただ、これだけバックグラウンドが異なる人々が集まっているのだから、もっとコラボレーションがあってもよかった。7日間でインプットした全てを一人で受け取るのは不可能なこと。チームで役割分担をすれば、違った視点やダイナミズムが生じてくる。この機会は、終わりではなくプロセスの始まりだ。
#3 ポール・アグスタ Paul Agusta
映画監督/俳優
今日の発表に、価値のないアイデアは何ひとつなかった。旅で感じたことを翻訳して作品が生まれる過程に立ち会えたことは、素晴らしい体験だった。最初のアイデアに固執するのではなく、進化を得ることがアーティストにとって重要だと思う。常に変化できるよう開かれた状態でいてほしい。
#4 高嶺 格 Tadasu Takamine
美術家/演出家/秋田公立美術大学 ビジュアルアーツ専攻 教授
「旅する地域考」は、地域で出会った人やコミュニティなど、対象物との距離を測る行為だと言い換えていいと思う。表現するために相手との駆け引きがあるかもしれないが、自分はコミュニティと関係を結ぶのが苦手で、深く近づこうとすると葛藤が起きる場合がある。コミュニティとの距離感をうまく捉えると、作品はすっきりとまとまるのかもしれないが、距離の取り方をはっきりさせず、曖昧なままにしておくのもいいだろう。
#5 石山 友美 Tomomi Ishiyama
映画監督/秋田公立美術大学 景観デザイン専攻 助教
最終発表でこれほど楽しめるとは思っていなかったので、力作を披露してくれたみんなにお礼を言いたい。ただ、率直に感じたのは、生真面目すぎる、ということ。全体的にユーモアが足りないと感じた。自分たちの作品の対象を徹底的に考察すると同時に自分自身を眼差すことで変われるのではないか。自己を客観的に俯瞰するのは難しい。だけど教養が助けてくれるはず。
#6 岸 健太 Kenta Kishi
建築家、アーバンスタディーズ/
秋田公立美術大学大学院 複合芸術研究科 教授
今回はディレクションの視点から、「旅する地域考」とは一体何なのかを改めて考えてきた。地域に潜在する情報を新しい仕方で見つけ報告する参加者達の力は底知れないといつも思う。でも、だからこそ、この旅とその結果を「アート」や「作品」としてだけ括るのでいいのか気になり始めている。「パブリック・メディア」や「オルタナティブ・ジャーナリズム」と位置づけてみると、より広くアートの可能性がみえてくるのではないだろうか。アーカイビングのことも含めて、このプログラムのこれからの組み立てという宿題が、企画運営側に残された気がする。
#7 岩井成昭 Shigeaki Iwai
アーティスト/秋田公立美術大学大学院 複合芸術研究科 教授/
AKIBI複合芸術プラクティス「旅する地域考」プロジェクト統括
今回の旅で意識していたことのひとつは「寛容性」。旅というのはホームグラウンドを離れて他人の世話になることでもある。それを受け取り周囲に返していく、あるいは身の回りの状況を受け入れていく時間だと考えている。そして、「即興性」。限られた時間における大切なものの見極め方が、各々の中で自覚されたはず。この旅で感じたことを大事にして今後の生活や仕事につなげてほしい。
「旅する地域考 辺境を酌む冬編」全プログラム終了後は、にかほ市の「八千代寿司」さんで打ち上げ。みなさん、8日間おつかれさまでした!
(photo: Yoma Funabashi)