自然の災害から人々の生活を護る

1) 地獄の飛砂から田畑や人家を護る昔から当地の人々は松等の植林を行い飛砂を防いできたが、栗田定之丞等は江戸時代末期から明治時代にかけ、約20年にわたって黒松の植林等砂防事業を実施して、秋田県内砂丘地帯の防災対策を行ったことは有名です。

新屋砂丘新屋の防風林
山本郡浅内地区の防風林山本郡浜口地区の防風林
2) 雄物川常習氾濫の災害から田畑や人家を護る雄物川水系は下流域で複雑に蛇行し、水系は常に変わり、ある時は仁井田.大住、また、ある時は牛島方面を流れることもありました。このため、秋田市周辺一帯は常習氾濫地帯で、昔から堤防構築等で対応して来たが、これには耐えきれず、大正6年 (1917)から17年の歳月と膨大な費用を掛け、雄物川を新屋から日本海まで幅360m、長さ2,037mにわたり掘削し、雄物川放水路(ショトカット)を造成し、昭和13年に一大国家プロジェクトとして完成することができました。
 このときの、掘削残土を茨島.新屋.牛島等の低地に盛土したのが、後の、十條製紙、三菱金属、東北肥料等の工場用地となり、これが、秋田臨海工業地帯発生の基と云われております。


(図をクリックすると拡大されます。)
八橋油田周辺の被害


雄物川改修計画


雄物川改修前の土地利用


雄物川改修後の土地利用


秋田市の活性化に与えたインパクト




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