私のドイツ
私は,高校時代柔道部に所属していました。1年生の時,夏の合宿が秋田市であり、ドイツからのスポーツ交流団との稽古。これがドイツとのお付き合いの始まりです。
学生時代、第二外国語にドイツ語を選択。ドイツ語の先生は、日本語がまだあまり上手でないドイツ人女性でした。私は、語学は、得意でなかったのですが、その先生の魅力で、ドイツ語を一生懸命勉強しました。結局は、あまり上達しませんでしたが、人文社会学部のドイツ語会話も積極的に履修し、課外活動等も通し、そのドイツ人女性と親睦を深めました。
初めての海外旅行先が、ドイツでした。大学3年の時、世界青少年交流協会が主催する青少年交流団の一員として、憧れのドイツに2週間滞在し、一層、ドイツが好きになりました。ベルリンのホームステイ先のクーフェルドさんは、ご夫婦で日本を旅行した経験があり、日本びいきで、大変に親切にしていただきました。当時は、壁で東西が分割され、その壁の向こう側(東ベルリン)に行くには面倒でしたが、案内していただきました。食事は、日本食、そして日本人が好きな黒海苔まで準備していただき、その心使いが、大変に嬉しく、今でも良く覚えています。ドイツへの憧れだけは、ずっと持ち続けていましたが、その後、企業に就職し、なかなか海外旅行等する機会はありませんでした。
秋田に戻り2年目の1997年9月末から半年間、在外研究員としてドイツでの生活。ドイツでのひとり生活は、当初、言葉の問題や環境の変化から、一時体調も崩し、悪戦苦闘もありましたが、マンハイム、パッサウ、ミュンヘン等、各地で、大変に親切にしていただいき、楽しい思い出だけ。この滞在中に、ベルリンのクーフェルドさんと、18年ぶりに連絡がとれ再会。当時5歳位だった娘さんも、美しい優しい学生に成長していました。この時も、クーフェルドさんご夫婦には、以前にも増してお世話になってしまいました。18年の間に、予想もできなかった東西ドイツ統一の喜びを語ってくれたのが、印象的でした。パッサウでは、特に、ツアーさんご家族にお世話になりました。奥さんが日本人でしたので、何か困ったことがあれば、相談できたのが心の支えでした。ツアーさんのお子さん、青少年交流団の一員として秋田を訪問した皆さんが、日本人以上に義理人情味に厚い印象を受けました。
青年時代、お世話になったドイツ。今後は、様々な面で、私のできることで、少しづつでも恩返ししていきたい。そして、教育文化交流がますます深まることを祈念しています。
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