新屋地域の開発からみた自然と調和した人々の生活

 私たちは、1日たりとも、食を得ずにして生きることは出来ません。古代の人々は、 1粒の米を得るため、樹木を切り倒し、下草を除き、表土を耕し、水田に水を引き、 種子を蒔き、鳥や虫、獣から稲を護り、待望の秋を迎え、食を得て、厳しい冬を乗り 越えてきました。
 即ち、人間は生活するため、自然に働きかけ、自然を利用してきました。(自然を 超越してきました)。文化を英語ではカルチュアー(耕す)と呼ぶのも、このような 意味からと云われております。
 このように、人間が自然を利用し、いろいろの文明や文化を繁栄させ、今日に至っていると云われています。然し、古代文明の盛衰をみても人間の生活と自然の調和が如何に大事であるかも、また、至るところに見ることが出来ます。
 このたび、新屋地域の開発から見た、人間生活と自然の調和のあり方を探ってみました。
干拓前の八郎潟うたせ船
干拓後の農地干拓後の居住地


新屋地域の人々

自然の災害から人々の生活を護る

パルプ工場と共に歩んだ新屋地域

むすび

(参考文献、参考資料等)

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